異文化体験

2008年8月 3日 (日曜日)

1日の中に四季がある

 久々の更新になってしまいました。まぁ何と申しましょうか、忙しいにもホドがあるゾという毎日で、それも異様な集中力を要する仕事で、脳が沸騰しそう・・・大袈裟に聞こえるでしょうが、週末になるともうヘトヘトで、毎週通っているカラダファクトリーでメンテナンスをして、ようやくやっているような状況で・・・と言い訳はもういいと(笑)。

 今週はぼ~っと見られる番組がいいかなと思い、陽水氏も好きだという「女子モノ」、全英女子オープンを夜中に見たりしておりました。このコースを見ていると、距離が短いせいもあるでしょうが、そんなに死ぬほど難しいようには思えませんが、先日やっていた全英オープンは強烈なコースでしたねぇ。

 かく云うワタシも、一応ゴルフを始めたのが彼の地なもので、ある程度上手くなった時に、全英オープンを開催したことがあるコースでプレーしたことがある。一つは、イングランドの南東のサンドウィッチ(あの食べ物の語源ではないそうですが、そう思ってホテルの朝食でサンドウィッチを食べていた記憶がありますが・笑)にあるプリンセス・コース。もう一つがスコットランドの灯台がシンボルのターンベリー。

 まあこのようなリンクス・コースは、とにかく「あるがまま」の風景そのもので、ティーグランドから見てもどこがフェアウェイか判らないとか、タコツボのようなバンカーでグリーン方向とは反対に打たざるを得なかったり、そしてなんと言っても恐るべきは重く強烈な風で、どのくらい番手を上げたり下げたりすればいいか、皆目見当がつかずパニックになったり・・・当時、ゴルフを初めて間もなく100を切り、オレってイケテルかもと勘違いしてた時期でしたが(今考えれば勘違いも甚だしいワケですが・笑)、両コースではものの見事に130台で回らせて頂きました。

 英国の夏は、この場所がいかに北の方に位置しているか判るような、遅くまで明るく、これらのコースを回ったのも確か気候の良い頃だったと記憶しています。当然、青空の下、半袖のポロでスタートするワケですが、途中で曇り始め、強風が吹き荒れてくると、寒くて居たたまれず、ハーフの時にショップでウインドブレーカーを急遽買って、そのうちザっと雨が降り、濡れ鼠状態になって・・・

 テレビで英国のゴルフコースを紹介するときに「一日の中に四季がある」と言ったりするのを聞かれた方もいると思いますが、まさにその通りで・・・。そんなこんなで懲りたワケではありませんが、最近ゴルフに行く気力がなく・・・(笑)。まあ何を好き好んで、朝も早から起きて箱庭のようなゴルフ場で、高い昼飯を食べたりしながら、一日を過ごさねばならないのか、なかなかワカラナイようになっております。折りたたみ式のマイ・トローリー(キャディバックを載せて運ぶもの)で、昼からスルーで回っていたのがなんとも懐かしくもあり・・・

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2004年11月29日 (月曜日)

異文化体験(5)~ホリデーシーズン

アメリカでは、 11月の第4木曜日が Thanksgiving Day(感謝祭)で、そこからホリデーシーズンが始まります。私がアメリカでホームステイしていた当時も、親族がみんな山小屋的な別荘に集まるというので、連れて行ってもらいました。メインの料理は七面鳥の丸焼きなのですが、これは今でも私の苦手料理で、あのパサパサした食感がたまらなく嫌だったことを覚えています。そして当日夜になると雪がかなり降ってきて、これは暫く帰れないかなぁ~なんて言われて、私は自分のクルマで先に帰りました。夜の雪道。アメリカというか海外ではあまりチェーンをつけるという光景は見られず、よくニュースで見られるクルマが滑ってハンドルが効かなくなるアレなんですが、山を降りるまで必死になって運転していたのを思い出し苦笑い。

そしてクリスマスに向けてはツリーの準備です。当時のいや今でもそうでしょうが、日本なら家の中に本物のツリーを用意するなんて少ないと思いますが、当時その家では、「Hiro、ツリーを切りに行くからついてこい」と、ホストファザーのピックアップトラックの助手席に乗せられて、行った先は・・・見渡す限りのツリー林(川沿いリバーサイドみたいですが・笑)。どうもクリスマスツリーを販売している農園だったようです。高さとか枝ぶりを見ながら、あれでもないこれでもないとひとしきり悩んだ末、1本のツリーを切り出し購入して持ち帰ったのでした。このあたりのスケール感に呆然としたのがいい思い出でもあります。

今、我が家では、さすがに家の中に本物のツリーはありませんが(笑)、先週末に庭の木々や玄関先周りに電飾を施し、ライトアップさせてます。今年はまだ寒くないですが、落葉樹の葉が落ちなんとなく寒々しいですし、日も短くなっていますので、道を歩く人の心が少し暖まればいいかなと・・・

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2004年10月26日 (火曜日)

異文化体験(4)~そんなに食べるの?

発音に関するエトセトラということで、まずは誰もが経験する基本編から。マクドナルドと言えば、確か私が大学生の頃から日本でもポピュラーになってきて、今とは違って結構高く学生にとっては「贅沢品」だったのだが、現地では最もチェーン店舗数が多いものの、その頃はどちらかと言うと「安かろうまずかろう」的なものだった。もし違っていたらお許し頂きたいが、普通のハンバーガーだたったの25セントだった。つまりあの藤田田さんが「日本風」にしてしまったという訳だが、名前まで日本風に「マクドナルド」にしてしまったから、困ったものだ。その単語だけ言えばまず理解してもらえない。あのハンバーガーチェーンの・・・なんて説明して、Oh! McDonal's!。マックダ~ナルズとダにアクセントがくる。

ハンバーガーつながりで、ちょっと食生活にも触れてみたい。ホームステイ先は共働きだったため、夕食がファーストフードなんていうのはザラだった(悪いという意味ではなく)。今日はバーガーキング、明日はドミノピザ、次はカールズJR.・・・なんて具合に。しかし驚くのはその量が半端じゃない。例えばバーガーキングなら、Whopper(これはワッパーと読み、とてつもなく大きいものという意味だが、そんな単語知らないので暫くフーパーだと思っていた・笑)2個に、オニオンリングのテンコ盛り、フレンチフライ、圧巻は1リットルはあろうかというドリンク。

まだ若かったときとは言え、そんな量は食べられないよ・・・なんて言っていたのは、最初のうちだけ。すぐにそれが当然のようになるから「慣れ」とは恐ろしい。ハーゲンダッツのアイスクリームに至っては、1パイント(473cc)のカップを買ってきては、一度に食べきってしまう(笑)。ビールも安いから水代わりに飲んでしまい、ミルクやワインなんかはガロン(3.79L)単位で売っているし、飲み食いする量は加速度的に増えてゆき、知らぬ間に顔はまん丸になり・・・

更に週末などには、そのファミリーの近所に住む親戚が集まってきては、バックヤード(裏庭)でバーベキュー。この肉の量も半端じゃなかったが、あのTボーンステーキの味は未だに忘れられない。という生活を続けてくると、さすがに和食のあっさり感が恋しくなるのは必然で、クルマを買ってからは、サクラメントやサンフランシスコの日本料理店まで出かけ、寿司などを食べていた。渡米前までは結構好き嫌いが多く、一番苦手なのはローフィッシュ(生魚)だったのだが、アメリカ生活から寿司や刺身が好物になったのは、我ながら可笑しい。

食べ物で印象的だったのは、スーパーに普通にカップヌードルが置いてあり、しかもビーフだチキンだ、シュリンプだと数多くのフレーバーがあったこと。今では日本でも珍しくないが、例えばハンバーガー一つにしても、やれピクルス抜きでとかトマト抜きとか普通に言っていることや、コーラでもペプシじゃなきゃ飲まないなんてゴネる人を見てて、「みんなと一緒で」なんていう当時の日本人心理からは理解しがたかったが、何かアメリカを感じたひとコマだった。

次回へ続く

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2004年10月16日 (土曜日)

異文化体験(3)~アメ車に乗る

カリフォルニアの免許も取得し、あとはクルマ探し。学生が多い町だったので人の移動も多かったのか、クルマを手放したい人は、クルマのガラスに「For Sale」のポップと連絡先を書いてなんてことも多かった。なかなかいいクルマは見つからないし、予算も限られている。テレビを見ていると新車がリースで週いくらみたいなCMが良く流れており、じゃあリースでもしてみようかと、とあるリース会社へ。ところが、CMで流れているリースは3年乗って週いくらの世界。1年もいない人間が予算内でということになると、当然レベルを落とさねばならない。試しに予算内のフォード・エスコートを試乗してみたが、マニュアルだわ乗り心地は悪いわ、パワーないわでや~~めた。

そこでカマロに乗っていたホストファミリーに相談したら、同居している彼(このあたりがアメリカだなぁなんて妙に感心していた・笑)がクルマのマフラー工場をやっており、知り合いから中古のクルマを安く譲ってもらい、共同で購入して、私が帰国後は譲るのはどうだという提案があり、帰国時に売る手間もはぶけるし、それでDone!

クルマはGMのOldsmobile Cutlass。結構な古さだけど、赤いレザーシートだし、やっぱりアメリカに来たならデカいアメ車だと思っていたので、結構気に入っていた。私の負担額は1,700ドル(当時のレートで27万円ほど)。ただアメリカでは珍しくディーゼル車!古いだけあって排ガスもハンパじゃなかった。始動後なんてそれはスゴクて、両サイドから下向きに伸びたマフラーからブワ~ンと・・・そのまま上に飛んでいくんじゃないかと茶々を入れられたくらい(笑)。当時のアメ車に対する私の認識はすぐ壊れるというものだったが、その後大陸縦断なんて長距離運転をしたり結構な距離を走ったが、エンジン自体が不調になったことはなかった。ただエアコンや細かいスイッチ類が壊れたりしたが・・・。

ホストファミリーから日本では何に乗っていたのか?と聞かれ、マツダのファミリアだと答えたが、当然?という顔をされる。このクルマはアメリカでも当時人気があり「MAZDA323」というネームで売られていたことをそこで知った。しかも、その発音はマツダじゃなくて「マ~ズダ」って感じ。確かに「Z」だ。これは創業者のファミリーネームなんだなんて教えてあげると、うちのピックアップトラックはTOYOTAだと。これも発音は「トヨ~ラ」って感じ(雨の日に窓が曇りやすいのは日本製だからだなんて訳のわからんことを言っていたが・笑)。あげくには芝刈り機はHONDAだって(笑・発音はハンダに近い)。もちろん、これはカリフォルニアのアクセント。アクセントで思い出した。シアトルに行きたいと話していた時に、日本で言うように「シ」にアクセントをつけると通じない。「ア」を強く言うのだ。この前イチローは日本式のアクセントで言っていたのを聞いたが・・・。

次回は、その発音にまつわるエトセトラを。

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2004年10月14日 (木曜日)

異文化体験(2)~運転免許取得

まず運転免許証を取るにはどうすればいいのかからリサーチ。日本人コミュニティの口コミで、どういう書類が必要で、段取りはどうのこうのなんて知識を入れることから始まった。どうも筆記試験と実技試験があるらしい。しかも筆記試験は日本語の問題を選ぶことができるということで、しっかりと過去問まで出回っていた。まるで日本での大学生活に戻ったような錯覚に襲われた(笑)。ただその日本語はちょっと「変」で、過去問がなければ英語で受けた方がいいかも。

地元のDMVへ出向き、費用を支払い必要書類を貰い、名前から住所、生年月日、身長(これはフィートで記入するのだが、ちゃんとセンチとの対照表があった)、体重(これもポンド)を記入。目の色なんていうのがあって、ちょっと意表を付かれた感じ(笑)。あれ黒?茶色?なんて思ったが、鏡をしげしげと見ると茶色だったのでbrownと記入。簡単な視力検査をして、筆記試験の問題を貰い、近くのカウンターで立ったまま(笑)解いていく。時間制限はなかったと思うが、ものの10分ほどで終了。その場で採点してくれるのだが、過去問を解いていたおかげで、見事満点合格。仮免のようなものを貰う。これは誰か免許を持った人が横に乗っていれば運転できるということ。まあ国際免許は持っていっていたので、いなくても運転できますが。

次は実技だが、これは予約制ということで、近い日に決める。決められた日時に、「自分で」車を用意して乗っていく。そもそも日本のような公認教習所なんて見たことがない。まだその時は車を持っておらず、友人のオンボロ・ダッジのステーションワゴンを借りてDMVに乗り付ける。このオンボロさ加減が少しアダとなったのだが・・・。検査官がやってきて、ウインカーやらブレーキランプなどの確認をして、いざ出発。

実技もどんな形か事前に情報を仕入れていたが、日本の厳格な教習所で免許を取った人間にとっては、あまりにも簡単すぎる内容。え?こんなのでいいの?って感じ。現地に行けば分かることだが、大体道が広いし、駐車場だって余裕でアタマから入れられるサイズ。日本のような細かいテクニックなど、ほとんど必要ないのだから。

「はいまっすぐ行って、次の交差点で右に曲がって(さすがにその指示まで日本語という訳には参りません・笑)」・・・と、近くの住宅地の行き止まりの道へ入っていく。「ハイ停めて、バックして、Uターンして」・・・と余裕のはずだった・・・。がしかし、Uターンのときに気がついた。このオンボロ車はハンドルが無茶苦茶重いのだ!!なんのことはない、よりによってこんな時にパワステのオイル漏れのよう。マズイ!停まってからのUターンは、必死の形相でハンドルを切って難を逃れたものの、帰り道の左折で十分にハンドルを切りきれず、若干バイクレーン(自転車専用レーン)をかすめてしまった!

ちょっと不安な気持ちを引きずりながらも、無事DMVへ帰還。結果はその場で試験官から言い渡され見事合格!同時に減点された内容の説明もあり、スピード制限をややオーバーしたのが1回あり、そして前述の左折時に大回りしたので減点だったと言われる。日本の免許持っててここで落ちちゃあ恥だよなぁ、なんて思っていただけにとりあえず良かった。

次回はクルマ探しへ・・・。(注:この話はあくまで85年のものです。今は違うと思われます)

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2004年10月13日 (水曜日)

異文化体験(1)~IDは免許証だけ!?

昔から、年末に日記帳を買って「年初から始めるぞ!」と意気込んで3日と続いたことのない自分が、ひょんなきっかけでこのブログを始めたのは1ヶ月ほど前のこと。出来るだけ毎日何か書いてみようと思い、ほぼ毎日書いてきたし、まだ書きたいことは沢山あるのだが、「オチ」を考えているとなかなかまとまらず・・・という状況にある。ということで、困ったときの昔話じゃないけれど、昔アメリカやイギリスに住んでいた時に感じたカルチャーショックや、新鮮な驚きなどを振り返って、少しづつ書いていきたいと思う。ボケ防止にもなりそうだし(笑)。

記念すべき第1回は、85年から86年にかけて滞在していたアメリカでのエピソードから。住んでいたのは、カリフォルニア州の州都サクラメントにほど近いデービスという大学を中心とした小じんまりした町で、ホームステイをさせてもらっていた。25歳の誕生日にはホストマザーから「Stone age」だと言って祝ってもらったので、既にお酒も飲める年齢。

乾燥した気候だったので、町にあるスーパーでビールを買ったり、たまにはショットバーでバーボンを飲んだりもしていた。お酒を購入する際には必ず身分証明書の提示を求められる。これは日本でも見習ってもらいたいところなのだが、問題はそのIDのこと。ほぼ例外なく、州のDMV(陸運局みたいな所)発行の運転免許証がIDとなる・・・と言うかそれしか受け付けてくれない(DMVでは運転しない人向けのIDも発行している)。まだ現地の免許を取得する前には、当然唯一のIDであるパスポートを提示するのだが、それで店の人と結構なバトルが始まることが多かった。

悪く言えば「マニュアル」通りにしか出来ないのだろう。おそらく免許証で確認しろというマニュアルがあって、パスポートではどうしていいか判断できない・・・そんなところだろうか。当然、パスポートの生年月日も英語で併記されているのだから、それでOKなのだし、そもそも現地の運転免許発行の際に用いた元データはパスポートなのだから・・・しかしこれでビールが買えなかったことも何度かあった。この小競り合いを繰り替えしているうちに、英語が上達してくるから面白い。そして「ディベートで相手を納得させねば何もできない」ことも学んだ。

次回は、その運転免許取得の話でもしましょうか・・・

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